経営学研究者の卵の日常。

24歳。経営学の大学院に通う、研究者の卵です。基本的には自分の頭の中の整理と備忘録、”研究を日常に落とし込むこと”が目的の日記です。神戸在住。北海道に住んでいました。食べることと、カッコいいものが好きです。

◯◯なのに、◯◯と言われること。レッテル貼りの世界。

文系なのに、、

20代なのに、、

男なのに、、、

 

うんざりです。

 

〜だから、こうだよね?と言われることもある。

 

僕は相手のフレームに無理やりはめられることが嫌です。

社会人なんだから、普通スーツでしょ、とか意味わからん。

 

誰が決めたわけでもないけれど、

社会の規範(のようだから)そうしなければいけないという雰囲気。

そんな宗教的な圧力が嫌だ。

 

もっとわけわからんのは、

たぶん、少なからずの人がストレスを感じているはずなのに、

何も言わない、何も行動しない、我慢している人がいること。

我慢は美徳ではない。無意味な時間だと思う。

我慢して、自分を矮小化してしまうことはもったいないと思う。

 

特定の社会やコミュニティの中のフレーム、あるいは個人のフレームに相手を無理やりはめることは、

マイノリティの排除にも繋がりかねないと思う。

自分の常識でしか捉えていないのだから、多様性も何もない。

 

こういうとき思うのは、相手は変えられないという事実と、自分がどう変わるのかということ。

 

まず、本質的に相手を変えようとすることはできない。なぜなら、相手を変えようとすることは、すなわち、自分のフレームに相手をはめることになるからだ。だから、自分が変わるしかない。そして、結果的に相手が変わってくれることを心の中で願うくらいしかできない。

 

では、僕はどう変わればいいのか。

僕も、レッテルを貼ることはある。というか、何もイメージがないということはありえない。

まずは、自分が恣意的なレッテルを常に貼っているんだということを認識することからはじまる。

そして、本当にそれは正しいのかと疑うことが大切だと思う。

本当に自分が見ているものは正しいのか。

有益なのか、正義なのか、素晴らしいのか。

 

ときには自らを否定して、あるいは肯定するために闘って、

自分の考え方を少しずつアップデートしていくしかないんだと思う。

 

もし、自分が過剰に相手をフレームの中に押し込めようとしていたと自覚したなら、そのときは謝るしかない。 

 

ひで