経営学研究者の卵の日常。

25歳。経営学の大学院に通う、研究者の卵です。基本的には自分の頭の中の整理と備忘録、”研究を日常に落とし込むこと”が目的の日記です。神戸在住。北海道に住んでいました。食べることと、カッコいいものが好きです。

幼い頃から誰かにやらされている子はいつ自律するのか。

塾講師のバイトでは、色々な生徒を受け持ちます。その経験から、僕が思ったことを書きます。

 

 

昔ながらの英才教育は、親が子どもに何かをやらせることから始まると思います。

(ここでいう子どもは10歳前後をイメージしています。)

 

例えば、勉強もそうですし、音楽やスポーツの英才教育もそうだと思います。

 

親がある程度の成功者で、子どもにも同じ道に進んで欲しいという気持ちから英才教育は始まると思います。

 

僕が圧倒的に違和感を抱くのは、やらせている状態がずっと続いている子どもがいることです。

「親や先生がやれと言っているから、やりたくないけどやってるんだ」

そういう主張をしたい人は少なくないのだなと感じます。

 

そして、そう言っている子どもは自分にはどうすることもできないと思っています。

大人がつくった環境には抗えない。そういう無力感を持っています。

 

では、そういう子どもはいつ自律するのでしょうか。いつ、自分のやりたいことをするのでしょうか。

 

僕はやりたいことをつくるのもまた大人の役割だと思います。

 

極論、僕自身は自分の人生は自分のものだと思っているから、誰にも邪魔されたくないです。

だから、何か良いことがあっても、悪いことがあっても、自分がやったことなのだと自覚することができます。

 

でも、自分の生活が誰かの影響を強く受けていると自覚しているとき、特に子どものときはどれだけワガママでも、少なからず親の制約があるため、なかなか自分の人生だとは自覚できません。

 

さて、そんな子どもたちに対して、僕にできることは何なのかなと考えます。

 

僕はどんな会話をしても子どもに「なぜ」と訊きます。

「なぜ、その答えを導いたのか」

「なぜ、サッカーが好きなのか」

「なぜ、国語が苦手なのか」

 

そうやって、あえて口に出して少しずつ自分のことを話すことで、

自分自身がどんなことが好きでどんな考えを持っているのかをメタ的に認識できると思っています。

(いや、実際はそこまで期待してないけれど。)

 

また、やりたくないことはやらなきゃいいという軸で話すときもあります。

たとえ、親や先生が言ったからと言って、その志望校に行く必要なんか1ミリもないんだと断言します。

 

これからも、見えない敵との闘いは続きそうです。

 

強引にまとめると、

努力すること=忍耐とか、いい子=従順みたいなクソみたいな古い理論はとにかくなくなってほしいです。

 

ひで