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経営学研究者の卵の日常。

24歳。経営学の大学院に通う、研究者の卵です。基本的には自分の頭の中の整理と備忘録、”研究を日常に落とし込むこと”が目的の日記です。神戸在住。北海道に住んでいました。食べることと、カッコいいものが好きです。

骨折の痛みはそこに骨折という「言葉」があるから感じるのか

今日は「寝ながら学べる構造主義」を近所のタリーズで読んでいました。

哲学、言語学が絡んでくる内容ですが、とても読みやすいです。

 

印象的だった部分を僕なりに解説していきます。

言葉の概念で、スイスの言語哲学者のソシュールは「名前を持たないもの」は実在しないと考えました。

たとえば、英語のseveralは、一般的に日本語ではいくつか(5〜6くらい)と訳しますが実際には2のときもあれば10以上のときもあります。

つまり、日本語ではseveralを正確に訳すことができないため、日本語を扱う日本人にはseveralという概念は存在していないというのです。

他の例でも僕なりに考えてみます。ダシなどから感じる「うま味」は他の味覚に比べて歴史が浅いですが、「うま味」という言葉を発見し、定義したからこそ明確にその存在を認める(認識する)ことができたと言えるのではないでしょうか。

 

この考えの延長線上で、フランスの哲学者であるフーコーは人間を「意味によって編まれた身体」と表現しています。

雑にまとめると、社会制度が意味を決め、その意味に則って言葉がつくられ、その言葉が人々の行動を規定しているという構造でしょうか。

明治維新以前まで日本で当たり前だった歩き方(行動)が、軍隊の行進をヨーロッパ化するために全国の学校で「朝礼」が行なわれたこと(社会制度の変化)によって、変わってしまったという事例があります。

つまり、社会制度(国家)が身体を操作していると言えるんですね。

言語学、哲学が経営学と関連している感覚は、この辺にありそうですね。

 

今日の学びとして強引にまとめると、

言葉と、言葉が持つ意味にはそれだけの力があるということです。

 

極論、善悪の価値観のみならず、物理的な痛みすらも所与のものではなく、時代や状況によって生み出される言葉によって変わってしまうのかもしれません。

 

そして、今の時代は、他人の痛みを実感する時代だと思います。戦争をしていた頃はきっと、自分と敵は切り離された存在だったはずです。それを認識した上で日々過ごしていきたいです。

 

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アウトプットの難しさを痛感しますね。まだまだ自分でもわかっていないのでしょう。

 

ひで